武器を拾いたい非モテ

よろしくお願いします。

レーシックは自分にとって投資だった

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大学二年生の終盤(西暦だと2006年の始まり)の冬に、

レーシック手術を受けてから今に至るまで11年以上が経過しました。


今のところ、大して視力が低下したとか他の不具合を目から感じることはないです。


つまり、それなりに快適に日々過ごしているということです。


高校三年生の夏休みに入手した大人の雑誌(確か、beajinという雑誌だった。松金洋子さんが表紙でしたね。)にレーシックの事が書かれていてそれがきっかけです。


その記事を読んでから三年半を目が物凄く悪く悲惨な時間を過ごしましたが、

その間に物凄く不愉快で不便な想いを沢山したため、

一か八かではありましたが考え続けて遂にバイトでお金を貯めることに決めたのです。


当時、自分の周囲の人達に数人に話していたのですが、

やはり大半の人はやめておけとかは言いましたね。


情報があまりにも少ないから無理もないと思います。


ただ、今後の自分の人生の時間の事やこれ以上、脳が不愉快で不便な想いをしたくないというのもあり決断しました。


周囲で前例がないというのもあったので不安が無かったかというと嘘になります。


ただ、不便な生活に耐えられなかったというだけです。
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結構、道のりは長かったです

一心不乱に深夜働いてお金を作っていた当時

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深夜から翌日の昼過ぎまで低賃金で深夜料金でもないのに某水産加工工場で毎晩毎晩、機関車の様に働き続けていました。

交際相手や結婚相手が居た場合、おそらく破局していたでしょうね。

当時はソロだったので融通が利きました。

片道バイクで10km以上の道のりだったのと、非常に厳しい真冬の気候、

凍傷とも戦わなければならない色々な意味で困難の多い課題でした。


ただ、お金さえ貯めれば目標が達成出来ると当時は自分で逆算して見ていたので迷いはありませんでした。


それ程嫌な出来事を経験したので、人間追いつめられると決断も自ずと早くなるものです。


全てを得られない、失い方を得る過程(人間関係編)

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当時、なあなあで付き合っていた知り合い?友人?達とはバイトと私生活を優先させるあまり徐々に疎遠になり、

今では見事に互いに音信不通になりましたが、

当時、修復した目は今も僕の体に残り、快適な人生を送る一つの手段になっています。


今も残っているのが自分の目と言うのもまた妙な話なのですが。



また、付き合ってはいませんでしたが、神戸出身の知り合いだった社長令嬢から当時、

「かにすき、しいひん?」とメールが来ましたが、

面倒くさいのと本人が嫌いだったので無視して働いていました。


今では消息不明です。 まあ、多分何処かで生きているでしょう。


とにかく、年末も変わらず働き続けました。


当時の心境

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当時はとにかくお金が欲しかったというより、早く目的を達成したかったのです。


そのため、その手段としてお金がなければ作ればいいじゃないかととある先輩に頼み込んで紹介してもらいました。


人間、未来に多少でも希望を持つと体が疲れていても目は死んでないことが多いです。


当時の僕は物凄い不健康な生活サイクルの中で動いていましたが、多分目は元気だったと思います。


自分を突き動かしていたのは「執念」でした。


些細な経験ですが、今も目がなんとか機能しているので頑張って良かったと思いますね。


眼鏡やコンタクトレンズが邪魔だと感じる、自身の感覚

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それほどまでに乱視と近視、ドライアイが深刻でした。


頭痛と眼鏡をかけている時の感覚、色々と嫌な事がフラッシュバックするとトラブルが多かったのです。


目は脳と直結している部位なので、余計に苦しみが酷かったことを鮮明に記憶しています。

予想した金額をバイト代から作り出せた時は正直ほっとしました。


これで目標の7割はまず達成出来たと。


後は春休みの中から彼方の病院とスケジュールの折り合いをつけて受けるだけでしたね。


お世話になったクリニック

因みに当時、お世話になった病院は東京都の品川近視クリニックです。
shinagawa-shoyukai.com


2006のGoogle検索エンジンでレーシックを調べていた時に見つけた医院です。


まさに藁をも掴む状態でした。


もうこれ以上、自分の人生の時間を無駄にしたくないという想いから動き出しました。


あまり悪い噂も無かったので、決めるのにはそう時間は掛かりませんでしたね。



最後に

その中での過程はその内、書こうと思いますが終始不安が付きまとう時間でした。


今の御時世でも仕事をする際に必要あればリスクを負う必要があるという考え方がありますが、

当時から僕はリスクを負っていました。


もしかすると失明するかもしれない、他の問題もあるかもしれない。


ただ、僕はバカなのであまりにも先の事を考えて行動することはしませんでした。
(僕みたいなバカは何処かの社長も向いているかもしれません。)


それが今の結果です。


まあ、元気でやっています。


また目を傷めるのも嫌なので時々ブルーベリーを大量に食べてみたり、パソコン用のサングラスを装備してパソコン操作をしています。


最後に2


東日本大震災や2016の熊本県での地震で眼鏡やコンタクトレンズを震災の影響で調達出来ないというトラブルが多々あり、

非常に危険であったそうです。


当時、レーシックを希望した僕はそういった自然現象を意識して受けたのではありませんでしたが、

ああいうニュースを見ていて改めて地震大国である日本でレーシックにしろ、

眼鏡やコンタクトレンズのコンスタントな調達手段にしろ今後も各自が考えていかないと危険だろうなあと考えるきっかけにもなりました。


生活の最適化という意味でもやって良かったと思います。


今の時代、以前よりも物凄く情報が錯綜していて行動がしにくい状況でもありますが、

自分で調べ、考え、判断していくほかないと思います。


その一環が10年以上前に受けたレーシックでした。


時にそれがヤバい結果に繋がることもありますが、

生活の中で便利さや快適さを追求していった方が最終的に得する事の方が多いと思うのです。


まだ母親には話していないんですけどねw



現在、髭と下半身のムダ毛の脱毛クリニックに6回システムで通院していますが、

今後も生活と体の最適化を考えることが続きます。

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